教員という業種を諦めた理由

 物心がついた時から公務員に、しかも教員になることを目標として生活してきましたが、その道を諦めることにしました。

 
 このブログでは何事にもチャレンジすることで、後々に後悔することが無いようにしましょうと伝えてきましたが、筆者自身が諦めてしまっては矛盾していると思うかもしれません。
 
 ですが、今回なぜ目標を諦めたのかの理由と後悔の有無を書いていきます。
 

目標の教員を諦めた理由

・人の教育が向いていなかった

 高校時代から社会人になった今も人の教育をすることがありますが、教育をしていく中で気づいたことは、その人が成長していないということでした。受け取り手の問題ではないのかと思うこともあるかもしれませんが、教え手にも問題があると思います。

 

 双方の波長が合うパターンであれば、成果は良いものになるのは必然的ですが、時に教える側にも技術がいることが多いでしょう。やる気にさせる力や自分を変えようと思える魅力の見せ方などです。

 
 もちろん、その人の基礎的能力があることが前提になりますが、筆者にはその力がないことが明白でした。今までは勉強を教えるにしても、たまたま波長が合うパターンだっただけで、合わないと全く伝わらないことでこのことに気づくことが出来ました。
 
 筆者自身の教育力はこれから身に着けていかなければなりませんが、教育力がない状態で学生の貴重な時間を無駄にしてしまうことは無責任だという思いから、諦めるという選択肢が出てきました。
 

・自分に向いている仕事が見つかってしまった

 前回の記事でも書きましたが、今の仕事が楽しく自分に向いていることも1つの要因にあります。仕事が楽しいため、プライベートもかなり充実していて教員ではなく、また違うことにチャレンジしたい意志があり、現在は教員への道は候補から外れてしまいました。

 

後悔はしていないことはないが辛くない

 現在の仕事やプライベートが充実しているので、後悔はそこまでありません。精神的に大きなものではなく、まあ経験しておけばそれはそれで楽しかったろうな程度です。なので会社が倒産したら、再燃する可能性もありますね。

 

 恩師との約束もあるので、絶対にならないとは言い切れませんが、目指していた時の経験が今の自分を形成しているので、そのことはいい経験として受け入れてしまいた。なので、どうしても後悔しているわけではないので、また目指して活動していくには腰が重く感じるのが現状です。

 

 しかし、死ぬときに後悔するようなことは、絶対にチャレンジした方がいいので、これを読んでいる人もぜひ今やりたいことにトライしてほしいと思います。また、今回の記事で就活等で悩んでいる人の参考になれば幸いです。